大判例

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名古屋高等裁判所 昭和57年(ネ)626号 判決

控訴人

若尾裕崇

右訴訟代理人

関口宗男

被控訴人

水野東洋

右訴訟代理人

美和勇夫

鈴木顯藏

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は、差戻前の控訴審、上告審及び差戻後の控訴審を通じ控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、別紙目録(二)記載の建物を収去して別紙目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、昭和五三年五月一日から右明渡ずみまで一か月金二万円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、第一審判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人の主張

被控訴人の本件賃料不払については、以下に述べるような格別の事情があるから、本件賃貸借関係の基礎をなす信頼関係は破壊されているというべきである。

1  被控訴人は、本件賃料不払の前にも再三、増額賃料の支払を遅延したり、また昭和四二年頃には、ブロック壁を築造すると称して控訴人よりその同意を得ておいて、実際には洗面所、湯殿、台所を増改築したりした。

2  被控訴人は、被控訴人自宅の近くに所在する控訴人所有の他の土地を、控訴人の再三にわたる賃貸借契約締結の申入れを無視して、相当以前から現在まで無断使用している。本件土地の賃料不払も、賃料値下げを強行し控訴人の泣寝入りを目的とした実力行使であり、右無断使用と軌を一にしたものである。

3  控訴人は被控訴人と本件解除の約三年前に契約書を取交わし、爾来、これを遵守してきた。右契約締結にあたつては、被控訴人にはその内容を検討、考慮するに十分な時間が与えられ、被控訴人自身十分承知のうえ、契約書が作成されたにもかかわらず、被控訴人はこれを守らない。

以上のように、本件においては被控訴人にたび重なる不信行為が存するのであるから、本件賃料の不払は、相互の信頼関係を破壊するに至る程度の不当なものである。

二  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因関係の記述は、第一審判決五枚目表五行目の「請求」から同裏一一行目までを引用する。

二抗弁についての判断は、第一審判決六枚目表一行目の「前記」から同一〇枚目表七行目までの記述を、次のとおり削除、訂正、付加したうえ引用する。

1  第一審判決六枚目表六行目の「結果」の後に、「並びに前控訴審における証人若尾冨巳夫の証言、控訴人、被控訴人各本人尋問の結果(いずれも後記措信しない部分を除く)」を加える。

2  同裏一行目末尾に続けて「(もつとも、被控訴人は、昭和四七年頃控訴人が本件土地賃貸借の貸主の地位を承継する以前には、賃料値上げに際して時には増額分の支払を遅延したり、昭和四二年頃控訴人の同意を得ていない建物増改築工事を施工したこともないではなかつたが、賃貸借関係の基礎をなす信頼を害する程の影響を及ぼすものとは思われない。)を加え、同一一行目の「昭和四九年末は年額」を、「賃料として昭和四九年度は従前の金額に一万円を加算して(」と改める。

3  同七枚目表一行目の「の賃料を」を、「)」と、同五行目の「五二年」を、「五〇年暮」と、同七行目の「それでは」から「言わ」までを、「昭和五一年暮に至りそれでは高過ぎると断わら」とそれぞれを改める。

4  同裏一行目の「認して」の後に、「はいたが、これ程の著しい上昇率になるとまで予想して」を加え、同二行目の「末の賃料支払期になつて」を、「一二月三一日頃に同年度の賃料債務の履行を求められた際」と改め、同八行目の「から」の後に、「一週間の期限付で」を加え、同一〇行目の「しかし」から同八枚目表八行目の「なかつた。」までを削除する。

5  同八枚目裏八行目と九行目の間に、「前控訴審における控訴人、被控訴人各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難い。」と加入し、同一一行目の「賃料の延滞は」を、「被控訴人には問題とすべき程の不信行為も」と改める。

6  同九枚目表六行目の「自体」から「面もある」までを、「にはそれなりの理由があつた」と改める。

7  同一〇枚目表五行目の「認識してい」から同六行目の「始めて」までを、「予想しうべくもなかつた被控訴人が」と改める。

三そこで本件賃料不払が、なお信頼関係を破壊するものとはいえないかどうかについて考えるに、右引用(第一審認定)にかかる諸事情、ことに本件土地賃貸借は明治初期以来のものであつて過去においてとりたてて相互の信頼関係を損うような事情もなかつたこと、年払いの約定とされている本件土地の賃料不払期間が四か月程度であつて、しかも被控訴人は、その間これを放置していたというのではなく、本件土地の賃料が近隣の地代相場に較べて二倍以上になるため、その減額を申し入れて交渉を継続していたものであつて、右交渉中に契約解除の意思表示を受けるに及んで直ちに控訴人の要求する賃料額を供託していることなどの事実が存在するのに対し、本件賃料不払が信頼関係を破壊するものと認めるに足りるような格別の事情は当審における控訴本人の供述によつても認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

してみれば、本件賃料不払においては、未だ賃貸借関係の基礎をなす信頼関係を破壊するものと認めるに足りない特段の事情が存在するものというべきであるから、本件解除権の行使は信義則に反し許されなしものといわなければならない。

四よつて控訴人の本訴請求を棄却した第一審判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(可知鴻平 寺本栄一 佐藤壽一)

【参考・第一審判決理由】

一、請求原因事実は、本件土地の賃貸借期間および賃料の点を除いて当事者間に争いがない。

しかして、〈証拠〉によれば、原告と被告は、昭和四九年一二月二五日、本件土地の賃貸借期間を同年同月一日から二〇年間とし、賃料は、各年度毎に、当年度の固定資産課税台帳に登録された本件土地の価格および当年度の固定資産税額ならびに都市計画税額に基づき、「地代家賃統制令による地代並びに家賃の停止統制額又は認可統制額に代るべき額等を定める告示(昭和二七年一二月四日建設省告示第一四一八号)」(以下建設省告示という)所定の地代計算方式によつて算出した額とする旨定めたこと、しかして、昭和五二年度の固定資産課税台帳に登録された本件土地の価格は九八万〇七八七円であり、同年度分の本件土地の固定資産税額は四一七三円、都市計画税額は一八三六円であつたから、同年度分の本件土地の賃料は、次の算式のとおり年額五万五〇四八円であつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

二、そこで、以下被告主張の抗弁について判断するに、〈証拠〉によれば次のような事実が認められ、この認定に反する証拠はない。すなわち、

(1) 本件土地は、明治の初期に被告の祖父(又は曽祖父)が原告の祖父(又は曽祖父)から借り受けて以来、被告の方で代々引続いて賃借しているものであり、賃料は、従来より年払であつて、地主から請求のあつた金額をそのまま支払い、遅滞することはなかつた。

(2)、原告は、本件土地を昭和四七年に原告の父から贈与を受け、本件土地の賃貸人たる地位を承継したが、従来より被告との間には賃貸借契約書が作成されていなかつたことから、契約内容を明確なものとするため、昭和四九年一二月二五日被告との間で、「一、存続期間は昭和四九年一二月一日より二〇年間とする。二、借地権は賃借権のみとする。三、借地料は法定地代統制令により支払うものとする。四、借地権者は所有者の承諾なくして建物の増改築をしない。」旨記載した賃貸借契約書を作成のうえ、これを被告と取交した。

(3)、被告は、原告に対し、昭和四九年末は年額約三五〇〇〇円ないし約四万円の賃料を支払い、昭和五〇年からは前認定の賃料算定方式に基づき同年度は年額四万二九一四円を、昭和五一年度は年額五万四五〇二円を支払つた。

(4)、ところで、被告は、多治見市小名田地区内にある六八坪の土地を訴外松岡某に賃貸しているが、昭和五二年になつて同人に対し本件と同様の計算方式による賃料を支払つて欲しいと申し入れたところ、それでは高過ぎると言われたことから、多治見市小名田、高田地区の地代相場を調べた結果、坪当り年額三五〇円程度であることが判明した。もともと、被告としては、原告と前記契約書を取交した際には前認定の計算方式による賃料の方が右地代相場より高くなるということを認識しておらず、右調査の結果始めてそのことが判つたため、昭和五二年末の賃料支払期になつて原告に対し、本件土地の賃料を近隣の地代相場なみに減額して貰いたい旨申入れ、賃料は支払わなかつた。

(5) その後、被告は原告と昭和五三年一月から三月にかけて数回話合いをしたが、原告が終始一貫して被告の減額請求を拒否したため、話合いは全く進展しなかつたところ、同年三月二九日原告から賃料支払催告の内容証明郵便が来たため、同年四月二八日原告に対し、坪当り年額四五〇円の案を申入れたが、これも拒否された。しかし、この段階においても被告の方は、原告と毎日顔を見合わせている近所同士の間柄で、賃貸借も長期間に亘つて継続してきたものであるから原告と更に話合えば賃料減額問題は早晩解決できるものと考えており、また、借地法に「地代の減額について当事者間に協議が調わないときは、その請求を受けた者は減額を正当とする裁判が確定するまでは相当と認める地代の支払を請求することができる。」旨の規定があることも知らなかつたため、話合いがつけばそれで決まつた額を払うつもりで賃料の支払をしなかつた。ところが、同年五月二日原告から契約解除の内容証明郵便が来たため、同月四日岐阜地方法務局多治見支局に昭和五二年度分の賃料五万五〇四八円を供託するとともに、原告に対し、契約書どおりの賃料を支払うから契約解除の意思表示を撤回して欲しいと申入れたが、聞き入れられなかつた。

(6)、本件土地上には、いずれも二階建ての木造建物が二棟建つており、一方の建物には被告夫婦が、もう一方の建物には被告の息子夫婦とその子供二人が居住している。

(7)、被告は、本訴継続中である昭和五三年一二月二八日頃、昭和五三年度分の本件土地の賃料として五万四〇〇〇円程度を金融機関の原告名義の口座に振込んだ。

以上認定事実によれば、本件賃貸借は原、被告双方の曽祖父又は祖父の代から長期間に亘つて継続されてきたものであつて、昭和五一年度までは賃料の延滞はなかつたのであるが(他に、借主側が責められるような何らかの紛争が過去にあつたことを認め得る証拠もない)、昭和五二年末になつて被告が原告に対し賃料の減額請求をして同年度分の賃料の支払をしなかつたことから、その後約四ケ月のうちに賃料減額問題が賃貸借契約解除にまで発展したものであるところ、被告が賃料減額請求をしたこと自体についてはもつともな面もあるというべきである。

すなわち、本件における賃料の算定方法は、前認定のとおり、各年度毎に、当年度の固定資産課税台帳に登録された本件土地の価格および当年度の固定資産税額等に基づき、前記建設省告示所定の地代算定方式によつて賃料を算出するというものであつて、地代家賃統制令をそのまま適用するというものではない(因みに、地代家賃統制令をそのまま適用するとすれば、前記建設省告示第一の1の(註)(1)により、土地の価格とは、当該年度の固定資産課税台帳に登録された価格が昭和四八年度分の固定資産税課標準額をこえるときは、当該課税標準額とすると定められているから、本件土地の統制地代は、昭和四九年度分が年額一万七五三五円、五〇年度分が年額一万七六三八円、五一年度分が年額一万八一三五円、五二年度分が年額一万八六八一円になる。―別紙計算表参照)ため、土地価格の上昇が直接的に賃料の上昇に結びつくことになり、そのため近時のように土地価格の上昇が著しい場合には、賃料の保守的傾向の強い地域では前記計算方式による賃料の方が地域の一般的な地代相場よりかなり高くなるという結果を招き、現に昭和五二年当時には本件土地の賃料(坪当り年額約七九八円)も多治見市小名田、高田地区の地代相場の二倍以上に達していたのであるから、原告との間で前記賃貸借契約書を取交した際、賃料について右のような結果が生ずることを認識していなかつた被告が昭和五二年になつて始めて地代相場との懸隔を知つて原告に対し賃料減額請求をしたのは、それなりの理由があつたというべきである。

ただ、被告が、ひとまず原告に昭和五二年度分の賃料を支払つておいた上で、賃料減額請求の調停申立をするとか、訴訟を提起するとかの法的措置をとらずに、話合いによる解決が可能であると安易に考えて賃料の支払をしなかつたのは遺憾であるけれども、被告としては、原告とは近所同士の間柄であり、賃貸借期間も長かつたことから話合いにより何とか解決できると考えていたものであり、また、賃料不払の点も、法律的知識の乏しさから原告請求の賃料を支払つてしまえばこれを認めたことになると考えて賃料を支払わなかつたものと推測されるのであつて、賃料不払をもつて直ちに著しい不誠意と断ずることはできない。

以上の次第であつて、前認定の事実関係からすれば、被告の賃料不払は、いまだ原、被告間の信頼関係を破壊するに至る程の不誠意ということはできないから、原告の本件解除権の行使は信義則に反し許されないものというべきである。〈以下略〉

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